前回のブログ更新から二年が経とうとしててびっくりした……
こんにちは、よーすろうです(この名前すら久しぶりに使うとか絶対言えない)。
前回更新した記事↓
こんな感じのものを投稿してたわけだけど、それから約二年、正確には一年と10か月くらいが経過してた。
更新しなかった理由としては単純で、追われてるわけでもないし、気が向いたときでいいかという怠惰な理由(笑)。
まあ、気楽にやってけばいいよね。日記みたいなものだと思うし。
なんで復帰したのかと聞かれると気まぐれ……というのもあるし、感染症なり色々あって物騒な世の中だけど、大学も辞めずに現在三年生までこれたということでなんか文字に起こしたくなったってのが理由。
あ、あと、やりたいことも見つかったというか、本腰入れてやるべきことも見つかったというか、一年前くらいからハイペースでやってて、その結果が芳しくないから他の場所で色々言いたいからってのもあるかもしれない。
何かって言われると、小説執筆。
いや、お前それ二年前くらいからやってるじゃんって言われればそれまでなんだけど、ジャンルを絞ったっていうか、経験知とこれからのことを考えれば文学よりもライトノベルなのかなってことで、一年ほど前から平均して二、三か月に一作ペースで投稿してる。
ライトノベル賞だと文学賞と違って評価シート(編集部の人たちとか、下読みの人が作品批評してくれるもの)を送ってくれるっていう利点もあるし、自分の弱点が非常に把握しやすい。
だからそれを基にしたりして頑張ろうって思ってるんだけど、四作送って結果は全部一次落ち……。
なかなかつらいよね。
……天才でも何でもないって自覚はもちろんあるんだけども、この結果は結構へこむ。
時にはお目当ての評価シートでメンタルブレイクされかけたりもするんだけど、やめるわけにもいかないというか、好きを仕事にしようとするってこういう苦しい経験を乗り越えて手に入れるものだと思うし、これだけはやめずにやろうと思う。
今までの人生本当に中途半端だったからなぁ……。特に頑張ったことってのもなかったし……。
まあだから、とりあえず五年でも十年でも、手がもげて考える頭が吹っ飛ばない限りには書けるから、これだけは絶対に成功させたい。
なんか復活報告だけする予定だったのに話が脱線し始めちゃいましたね。
とりあえずそういうわけで、この約二年の間であったこと、記事にできそうなことも色々あるんで更新していきたいと思ってます。
そんじゃ、また。
大学留年したら同級の奴らが遠くの存在に見えてしまうって話
今年の春あたりに僕は自身が留年していることを大学側から通知された
↑この記事に留年をしてしまったざっくりとした理由はについて触れているが、親に申し訳ないという感情を抱えつつ、しっかりと講義を受ける日々だ。
そうするうちに春、夏と過ぎていき、季節は秋。
今年も残すところあと約2か月ほどとなっている。
↑この記事の終盤に地元の友人たちと会って遊びに出かけたり色々としたわけだが、その中で少しだけ思うところがあったよってのが今回の話。
別に彼らが大きく変わってしまったりだとか、自分と価値観が合わなくなってしまったとか、そういうわけではまったくなく、むしろ久しぶりに会えてうれしかった。
その中で僕だけが留年をしてしまった。1年遅れて卒業する羽目になった。
要するに僕自身の環境が変わってしまったってことだ。
僕は正直さみしがり屋です。今まで暖かかった環境ががらりと変わってしまうといつまでも昔を忘れることができないという人間です。
留年したということはその春のうちに彼らに一応告げたのだけれど、実際に前期を終わらせて今回また会うと、どこか置いて行かれてしまったような気持ちになっている。
皆が卒業するタイミングで自分はまだ大学3年。果たしてその時にはどうなっているか、就職の決まった彼らを前にしてどう思うか、そもそも卒業旅行がバラバラだ、などなど。。。。
大学でできた友人も、僕が留年してしまった影響で1人を除いては疎遠になってしまっているし、授業もゼミのようなものがこの1年なく味気の無い授業ばかりだ。
遠くに行っちゃったなあ・・・・あいつら・・・・・
みたいなアニメのキャラクターがしみじみとしているような状況に僕も今陥っている。
でも、だからって落ち込んでもいられないんですよね。
なんかタイトル上どうしても暗い記事になってしまったのだけれど(笑)
この1年を乗り越えれば次は2年になって、そこからまた学年が上がっていく。
その中で新しい趣味を見つけることもできたし、彼女も欲しいけどたぶんいつかできると思うし!(震え声)
同級の奴らが遠くに見えてしまったけれど、気合入れなおしてまた明日から頑張っていこう!明日からまた一週間が始まる!
じゃ、また次の記事で!
留年中の僕が地元でアルバイトして振られた(?)って話
前の生存報告ブログで、この夏に色々なことがあったと書いた。
楽しいこともあったし、悲しいこともあった。
けれどこの夏を合算して俯瞰すると、どうしてもこの出来事のインパクトが強すぎて
今年の夏=これ!みたいになってるところがある。
まあ、ざっくりいうと振られた(?)って話です。タイトルにもありますけども。
なんでクエッションマークなんて強調するように付けてるんだよ、と思ってる方もいるだろうが、順を追って説明させてほしい。
これまたタイトルに書いてあるんだけれど、今年の夏に僕は地元に帰省して、ホテルの中のレストランで夏休みのみの短期バイトに励んでいた。
盆シーズンということもあってホテル側も猫の手も借りたいというくらいに忙しい様子だった。
始めて働く人間などにも考慮は一切なし。即戦力としか見ていないようで、働き始めて一回目の日からオーダーの取り方、接客の仕方などを次々と指示される。
頭をフルに使い、メモをしながらそれを聞くわけだが、それでも完璧にすべてをこなすことなんて到底不可能で、焦りの上から出るミスを連発したり、料理をこぼしてしまったりと始めて5日目くらいまでは散々だった。
それに追い打ちをかけるように正社員の方々からの嫌味など、親戚から紹介された職場だったのだが、やめてやろうかと本気で思っていた。
しかしである。
そんな心が荒み始めてきていた時期に、ある女の子とちょうどその日アルバイトがかぶっていた。
初見でその子を見た感想としては、「かわいいな」の一言だった。
今風の大学生っぽく髪を染めておらず、濃い化粧も特にしていない。目鼻立ちがくっきりとしている子だった。
大学の中で行うグループ活動などで一緒になったならば隙を見つけて話しかけていたのかもしれないが、職場という環境で、なおかつミスを連発していた僕が簡単に近づいていけるような状況でもなく、特に会話もないまま食事の配膳へ取り掛かった。
その日の配膳する料理は特に滑りやすく、結構な神経を張り巡らせなければならないものだった。しかもその量と言えばまあまあ多く、限られた時間の中で入ってまだ間もない人間がスムーズにこなすことができるのかといえば怪しい。
慎重に、こぼさないように配膳していると、なんと例のその女の子が僕のほうへ来て手伝い始めてくれたのだ。
嬉しさ半面、自分の配膳するペースが遅くて迷惑をかけてしまったのかと少しおちこっむ自分がいた。
「手伝わせてしまってすみません」
「いえいえ、これすべりやすくて大変ですよね。私も最初苦労したんです」
彼女は笑顔で応えてくれた。それから少しだけ業務の始まる前に会話することができたのだが、どうやら国公立大学からきている人たちは全員派遣で来ていて、長期休暇でない普通の休日などにもこのホテルで働いているということだった。
心の底から安心したし、何よりもびくついていた僕に微笑みかけてくれたのはまさに救いと言っても過言じゃないほど助けられた。
単純な話で、僕はこの時から彼女のことが少なからず気になっていたんだと思う。
たまたま業務の間で二人きりになったことがあったのだが、その時に名前、在籍中の大学、サークル、学年など様々なことを聞くことができた。
正直な話、舞い上がっていたと思う。
彼女と働けることは楽しかったし、上司から失敗も特にしていないのに嫌味を言われることがあったけれど、どうでもよくなるほどになっていた。
そして、このころから僕のミスはなくなっていった。
家に帰ると次の出勤日に彼女はいるかとか、どうにかして付き合えたりはできないものかと頭を張り巡らせるばかりだった。
悶々としながらも楽しいバイト生活を送りながら、僕の夏休み期間は残り一週間と半分あたりになっていた。次の出勤日が最後だったのだ。
その日が終わってしまえば彼女と会える日はもうないだろう。でも、それで本当にいいのか。。。。
悩んだ。連絡先を聞いてしまうかどうか。
様々な思いがぐるぐるとめぐっていたが、僕が出した結論は、やらない後悔よりやった後悔。
つまり連絡先を思い切って聞いてしまおうと決心したのだ。
仮にうまくいったとしても、会えるのはこういった長期休暇のみ。果たしてその後のことを考えてもうまくいくか、、、いやもう行こう!
本気で心に決め、僕はその日のバイトへいざ向かった。
普段通りに業務をこなし、その日も彼女と話すことができた。接客中でも気持ちは仕事終わりへ先走り、それでもなんとかうまくやり、遂にそのときがやってきた。
更衣室へ向かう途中である。
僕は彼女を呼び止めて、かなり緊張していたがなんとか連絡先がほしい旨を伝えた。もうこれで最後になるかもしれないから、と。
彼女ははっきり驚いているようだった。そりゃあもう当然だろう。連絡先を聞いてくるんて気があるようにしかあまり思えないし。
「でも、どこで交換しようか・・・。更衣室にはほかの人もいるし・・・」
どこで交換しようか。そんな答えは想定外だった。確かにそうやって言われてみるとどこで・・・・・?
訳の分からない状況でいると、後方から嫌味ばかり言い続けていた上司がやってきた。
まずい。
緊張と焦りと羞恥心。混乱状態で僕が言い放った言葉は
「じゃあ入口あたりで!」
そういって逃げるように男子更衣室へ早足で歩いた。
それから着替え、しばらく入口あたりで彼女がやってくることを待っていたが、結局彼女は申し訳なさそうに他の人たちと共に送迎バスへ乗り込んでいった。
という話。
ぶっちゃけまあ彼女に少しでも気が合ってくれれば多少強引にでも交換してくれていたはずだし、断られた。つまり振られたんだと思っている。
苦しい中で仕事をすることの大変さや、それ以外にもこういった短い期間で女の子と付き合うことというのは無理なんだと確信した夏だった。
未だに童貞の20の秋。学ぶことは様々。
でも苦しいことばかりだったわけじゃない。地元に帰省していた友人たちと車を使って色々な所へ行ったし、おいしいものも食べた。こういう瞬間が大事なのだと実感していた。
終わりになるが、本当に身をもって学べた夏だったと思う。悲しかったけど・・・・。
そういうこと!じゃ、また次の記事で!
生存確認と季節の話。あと執筆状況。
恒例の適当な画像貼り付けていくスタイル。
どうも、よーすろうです。6月の最後に小説執筆ブログを投稿して以来の記事になります。
あんなに暑かった夏も過ぎ去り、だんだんと秋が深まってきましたね。
秋は個人的に一番好きな季節だったりします。おいしものもたくさん旬を迎えるし、気候もいい感じに涼しくて春のように花粉の心配もあまりないし、何より景色の色彩が豊かになるし、、、、
他にも挙げればきりがないのですが、自分の誕生日が秋ということもありますし、とにかく好きなんです。
反対に一番嫌いなのは夏でしたね(この過去形は後述)。
とにかく当たり前だけれど暑いし、それによって寝れない日があるし、蝉もうるさいし、、、、、、
とまあこっちも挙げればきりがないんですがね。
なんの気の迷いかえんやこら。少しだけ夏が好きになった年でもありました。
これが原因で俺は夏が少しだけ好きになった!!!ってのはないんですがね、こう、あやふやな感じで
あ~、暑いけどこれが夏だな~。ええやん、夏。
意味不明(笑)
例年より少し寛容になって人間的に成長したのかな、と。そう思わずにはいられない夏でしたね。まあ色々あったし(記事にしようか迷ってる)。
でも形としてはあやふやだけど、無意識のうちに夏の良さに気づいてたんでしょうね。
うん。平成最後の夏だったけど、楽しかったよ。また来年!
そんで、執筆の話。
川端康成青春文学賞の記事には今年も群像に送るぞ!って息巻いてるけども、どうやら厳しそうではある。
まあでもプロの作家ってわけでもないし、そんなに肩ひじ張りたくはないかな。焦っても意味がないと思ってるし、そもそも焦ることに使命感を覚えなきゃいけない立場でもないですしね。
意識改革というか、小説、文学っていうのは、単純にストーリーだけを追い求めるものでもないという気もするし、今は自分の中で様々に渦巻いてる。
そのそれぞれに名前を付けろと言われても難しいし、考えなければならない時期なのかもしれない。
当面の目標は12月10日締め切りの太宰治賞かな、とは思ってます。
こんなもんかな。じゃ、また次の記事で!
川端康成青春文学賞へ第二作目を送った
使いまわしの画像だけれど、やはりあるのとないのとじゃ印象が違ってくるため貼り付けることにする。
皆さんごきげんよう。
しばらくブログ投稿が滞っておりましたが、小説投稿記事はアクセスの伸びがよいためにどうにかこうにか書き終えて記事にしたかった。
それに集中するためにはブログなんて書いてる暇はない・・・、とまあ甘えていたわけですが、第二作を書き終えて投稿も済ませた感想やらをつらつらと書きなぐっていこうと思う。
まず、この賞を見つけたのは確か4月くらいのことだった。
今回が開催初とされ、市の出す小説賞ということで賞金も条件も悪くない。選考委員にはかの有名な羽田圭介先生がいるのである。
これはここに応募するしかない、そう決め込んだのがきっかけだ。なんともまあ軽い動機だがおそらくそんなものはどうでもいいのだろう。いや、どうでもいいはずだ。
前回の投稿は処女作だった。
右も左もわからない、ただやみくもにペンを走らせていただけで、半年以上たって振り返るといかに構成段階から甘いものだったのかを突き付けられた。
前回からの反省と言えば、主に自分の作り出す世界観に酔いしれて読み手への意識が薄かったということだ。
これは日本が誇る大作家、村上春樹氏による作品だがやはり文章が緻密で、独自の世界観をわかりやすく作り出している。読みやすさというの命であるのだと勉強になった一冊だった。
次を書くとするならば第三作目となる。大学卒業のうちにデビューまでこじつけることができれば幸せなのだが、道は長いのかもしれないし、短いのかもわからない。書かなければ、それが今の自分の生きがいであり目標であるから。
P.S
大阪府茨木市主催の賞であるのですが、先日起こった大阪地震の影響で心休まる日がないことかと思われます。どうか一日でも早い安泰、あるいはこれ以上の震災が起こらないということを願うばかりであります。
パトカーで署まで連行された時の話
※これは釣りなどではありません、完全な実話です。
恐らくだが、警察車両に乗せられるなど職業体験みたいなことでもしない限りないのではないだろうか。
何を偉そうに語っているのか自分でも困惑してきたが、貴重な体験(?)をしたことがあるのでショートストーリーのようにして経緯を説明していきたいと思う。
事の発端は小学六年生の時、下校中でのことだ。友人2人の計3人で帰っていた私たちは、適当な話をしながら盛り上がりつつ歩みを進めていた。この友人2人を以後AとBとする。
帰ったら何をしようかと会話の最中で考えていると、公衆電話の前で何やら楽しそうに笑う奴らがいた。付き合いのあるCとDだった。
A「おい、C、D、何やってんだよ」
C「おぉ、お前ら。いやさ、これくそ面白いんよ。警察にいたずら電話するのw」
今思えばなぜここで私は上手いことこのことに関わることを回避しなかったのかと懐かしさに浸りつつも後悔している。
このあとは酷い有様だ。CとDに乗せられて実際にやらなかったとはいえバカ笑いを繰り返す私たち。
警察官「はい」
D「wwwwwwwうんこwwwちんこwwwww食べたぁぁぁぁぁいwwwwwwwwww」
ガチャ
一同「wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」
この時アホだった私は、本気でこの遊びを見るのを楽しんでいたし、CとDは天才なのではないかと錯覚していた。
あまりやりすぎても面白味がないということで、その日はそのまま帰った。
それからその遊びを2回ほど楽しんでいた私たち。5人が揃うということは1回目以来無かったが、CとDのどちらかは確実におり、私は毎回そこにいた。
そして現実は当たり前だが突然にやってくる。
その日は私、A、Dの3人がいた。首謀者兼プレイヤーのCはいなかった。
D「うんこおおおおおおおおおおおおおちんこおおおおおおおおおおおお」
ガチャ
この男、うんこ、ちんこだけしか言えないのか。
そんな時だ。切り終わった公衆電話が唐突にベルを鳴らし始める。私たちはぎょっとした。
公衆電話が鳴るなんてことがあるのかと驚き、ただならぬことが起こりそうだと今更ながらに予感したのである。
驚きはそれだけに留まらない。立ち尽くす私たちが鳴り続ける公衆電話に慌てふためいていると、ものすごい速さでパトカーが2台やってきたのだ。
この瞬間のことは今でも覚えている。人生で初めて頭が真っ白になるということを経験した。
警察官「ちょっと君たち、パトカー乗ろっか」
今更NOだなんて言えるはずがないし、逃げ出せるはずもない。私たちはパトカーに乗った。
向かう先は当然警察署。小学生ながら人生が終わったと感じた。助手席に座っていたDの表情は分からなかったが、Aは死んだような表情をしていた。
署に到着すると、大きな講義部屋のような場所に連れて行かれた。席に着く私たち。柔らかい表情ながら目が笑っていない警察官たち。
警察官「まず聞くけど、どうしてこんなことをしたのかい?」
D「軽い気持ちで……遊び半分でやりました……」
ため息を吐く警察官の一人に、俯くしかない。私はこの時自分はやっていないのだと主張したくて仕方がなかった。それは恐らくAも同じだったと思う。
警察官「なら、いつもいたずら電話をかけてきた子は誰?」
私とAは一方的にDを見た。危機的状況になると人間こうなるのだ。
警察官「君か?」
D「はい、そうです」
警察官「そうか。でもね、こういう時は君たち2人も共犯で同罪だよ。いくらいたずら電話をしていないとしても、その場で楽しんでいたんなら変わりないからね」
やりきれない気持ちの方がその時は強かった。けれど振り返ってみると警察官の方の言う通りだと考えている。一緒に楽しんでいたのは事実だったのだから。
それからはひたすら説教をされた。怒られるのを特に嫌う年頃だったが、この時ばっかりは聞くしかなく、親にこれから来てもらうということで話は終わった。
親にも火が出るほど説教され、ビンタもされた。後日、初めていたずら電話を敢行した時のメンバーで集まり、そのことを私たち3人は2人に話した。
実際にその場に居なかったとはいえ、事の重大さに気づいた首謀者の1人だったCも、これからはやらないでおこうと強く心に決めたようだった。
P.S)間違っても警察にいたずら電話などしないでください。以上。
Vtuber流行の個人的見解
世間が「そだね~」と賑わいを見せている中、ネット界隈ではVtuber(バーチャルユーチューバー)が人気旋風を巻き起こしている。
本来ならVtuberの親分、王などと言われているキズナアイ氏を画像として出すべきだったが、個人的に上の画像が好きなんです。許してください。自分は「そだね~」みたいなリアルの人間のくそ寒発言を真似するよりも、「それは竹wwww」を使い続ける人間でありたい
昨年12月頃から突然キズナアイ氏の知名度が爆発的に上がり、その影響で今もVtuberは増え続けている。ちなみに私も彼女を知ったのはその時くらいで、こんな画期的なYouTuberがいたのかと驚いたものだ。生配信などでも、Vtuberが行ったものはスーパーチャットの量が尋常ではない。
ではなぜここまで爆発的人気をあげることができたのか。画面越しで二次元キャラが自在に喋ったり、動いたりすることにすごさを見出してファンになった人もいれば、かわいいから好きになった二次元ファンの心を掴むことができた魅力の多様性もだが、私が声を大にして言いたい第一意見は、アニメ好きな利用者が多いのではないかということに着眼した制作陣のファインプレイによるものなのではないかと考えた。現に日本のアニメ好きはもちろん、海外のアニメ好きの人々もよく閲覧していることがコメント欄で見受けられる。
割合として、おそらくアニメ好きに多いのが若年層であることと、若年層の多いYouTube。ここにそういったキャラたちを盛り込んでいくことで人気が出るのは当然だと今になって実感しています。
こちらは巷でサイコパスと言われているシロちゃん。三次元YouTuberがヒカキン氏から枝分かれするように増えていったように、Vtuberも様々なジャンルのキャラが確立されつつあります。今後各Vtuberたちがどういうアクションを取っていくか、そしてどういったキャラが増えていくか、非常に楽しみでなりません。
oh......